言語を変えていくことが大事!!
今までの言語には限界があります。
雨が降るって言うけれど、降らない雨ってあるのでしょうか?
花が咲くって言うけれど、咲いてない花はあるのでしょうか?
何故限界なのかというと、私たち人間が5感覚の目というフィルターを通して見た時に、境界線ぽく思える、有限化させたものをさしてます。
関係性の構築がうまくいかない原因の発見!
私たちが普段使っている言語が限界に来ているよ。という話を前回させて頂きました。
では、どうしたらよい関係性を構築することが出来るのでしょうか?
よりよい関係性を構築していくためには、
まずは、自分の繭の外に出ることが大事です!
え?どういうこと?
私たちは日常すごしているとき、お互いに蚕の繭の中にいるようなもので、
お互いの見ているものを一分一秒たりとも共有できないのです。
これまでの私たちが使ってる言語では、
それを乗り越えていくことが難しく、イメージの共有が不可能だった。
そして、言語はだましあいの道具でもあります。コミュニケーションがどんどんずれていき、信頼関係を構築しにくい状況をつくっていました。
そうです。言語の限界で私たちは分かり合えなかったのです。
では、どうしたら関係構築うまくいくのでしょうか?
関係性の構築上手くいかない原因が発見されました!!
動物と人間の違いはなんでしょうか?
人間とっては当たり前だけど、
動物には人間ほどはできていない事。
動物と人間との違いは、動物よりも言葉を使いこなして、他との動物との差別性をつくり、支配してきた事です。
地球上で人類が繁栄したのもこの言語という共通の土台があったからこそです。
そして、言語が感情までもつくっています。
日本人は犬の鳴き声をわんわん!と表現しますが、アメリカではバウバウと表現するし、他の国では、他の言葉に聞こえていると言うふうに、環境によって表現方法も言語も変わってしまいますね。
「アップル」といった時にあなたは何を思い浮かべますか?
赤いりんごを、思い浮かべる人、
りんごがカットされた状態で皿に盛られてるのを思い浮かべる人。
と様々です。
1つの単語だけでも、こんなにイメージがズレるのです。私たちが普段何気なくしているコミュニケーションでは、どれだけのズレが生まれてきているのでしょうか?
そんな、私たちが昔々から使い続けてきている言語には、限界が来ています。
関係構築のうまくいかない原因も言語が問題です!
主語述語がある言語では、お互いの主張が食い違い、どちらかが我慢して、合わせて、演技を演じて繋がっている関係性しか築けず、期待に応えてもらえなかったり、期待に応えられなかったりしたら信頼関係ご壊れて人間関係が崩れてしまったりを繰り返してませんか?
解決策は次回のお楽しみ♪
個人主義を超えて共同体主義に向かうには
今まで頑張ってきた個人主義が限界に来ています。
インターネットやSNS(faxebook,line,Twitter,Instagram,clubhouse等)を通して
毎日溢れんばかりの情報が流れてくる情報過多の時代って言われています。
そんな情報の洪水をさらにさせたのが2020年初頭から日本にも大混乱を与えたコロナパンデミックです。
この個人主義の中で、最新情報を常に追って行かないと社会についていけないからと様々な情報をとってみても時代の中心価値が複雑になりすぎて、知識やお金の格差が大きすく、不信、不安が溢れているし、その情報を統制、統合していくのが困難です。
そんな中で、個人主義の限界を突破する道を提示しているのが
21世紀悟り人令和哲学者Noh Jesu氏です。
NohJesu氏が提唱する心感覚を共通土台として多様な違いを受け入れ、絶対に裏切らない平等な同僚を得ながら進化し続ける共同体。そんな本物の共同体主義に向かわなければ人類の希望はないのです。
心感覚については、心感覚特設サイトをご覧ください。
心感覚を読んでみました!
5感覚を使って、今まで通りに関係性を構築するという事が、全く上手くいかなかったのは当たり前だなぁーと思いました。
なぜならば、5感覚で見たり感じたりする事、それがホントに絶対的な感覚なのか?
経験した事や感じた事、あの人許せない!なんであの人ばっかり!なんでこんな理不尽な思いしなきゃいけないの?!全部自分が悪いんだー!
と、相対比較、自己否定、他己否定している事を絶対だーー!って思い込んでるのが私たちが、脳を使ってよくやってる事です。
それでは、人間関係うまくいくはずがないんです。
目なし見る、耳なし聞く、手なし触る、足なし歩く、脳なし生きる。
ムリそんなの!
って思うと思うのですが、そんな心感覚をつければ、人間関係で困ってた事、全ての問題が一掃されます。そして今まで培ってきた知識や技術が底上げされる。
そんな心感覚をつけられるこの一冊、
めっちゃオススメです!
共産主義vs自由主義ずーっと終わらないですよね。。。。
和をもって尊しとなす
Harmony is to be valued.
英語ではこんな風にいうこともできます。
聖徳太子が8世紀に制定したとされる「十七条憲法」の第一条の冒頭にある言葉になります。
この和をもって尊しとなすの「和」とは、どんな意味合いを持っているのかについて深めていきたいと思います。
日本人ならこの和をもって尊しとなすという言葉を1度は聞いた事があるのではないでしょうか。学校でも習いますよね。
では、本当の意味で調和がとれた社会を実現できてるでしょうか?
残念ながら、日本人なら和を保つために我慢して、人に合わせて、調和がとれてるっぽく演じてることはありませんか?
誰かが苦しい思いをしているのがほんとうの和と言えるのでしょうか?
そんな和の矛盾を包越するのが、
令和哲学者ノジェス先生によって提唱されているのが「究極的な和」です。
心感覚「0=∞=1」を応用活用するnTechでほんとうの和とは何なのかについて学ぶ事ができます。
まずは、12/14から本屋さんに並び始めた
ノ・ジェス著の「心感覚」を是非お手に取ってみてください。
〜正しい絶望から始まる究極の希望〜